塩釜ともしびチャペルレポート Vol1 -神はわたしたちの避けどころ- 

キリスト塩釜ともしびチャペル 牧師 平島 望

 2011年3月11日金曜日、いつもと変わらない週末でした。

 昼過ぎに小学校から電話が入りました。息子が熱を出したので迎えに来てほしいとのことでした。急いで迎えに行くと熱は38度を超えていました。卒業式を目前にして、学校でインフルエンザも流行っていたので、教会の目の前にあるかかりつけの病院に、午後の診療開始時間2時を待って連れて行きました。

 病院の待合室で診察を待っていた午後2時46分、地震が起こりました。はじめはちょっと大きな地震だなと思っていたその揺れは、だんだん強くなり、しかも、終わったかと思うとまた揺れだしていつまでも終わりませんでした。ふだんから地震に慣れているわたしたちでしたが、さすがにこの時は「これはいつもと違う」と思い、怖さを感じ始めたころ、ようやく揺れは治まりました。その間5~6分だったでしょうか。すでに電気は消えていましたが、ラジオから流れるニュースでは、東北から関東にかけての太平洋岸に大津波警報が出され、しかも最大6メートルの高さが予想されるとのことでした(のちに津波はところによっては10メートルを超えていました)。市の有線放送でも大津波警報発令に伴う避難勧告の放送が流れ続けていました。

 それでもその時は、まだこの地震があれほどの災害をもたらすことになるとは思っていませんでした。しかしとにかく教会も心配で、ひとまず帰ることにしました。帰ってみると教会も本や書類が散らばったり、食器のいくつかが壊れたりはしていましたが、思ったほどの被害もなく、ひとまず安心して病院に帰り、息子を連れて帰りました。

 

 しかしそれからが戦いの始まりでした。ガスはプロパンガスだったためにずっと使うことができましたが、停電は3日間続き、はじめは出ていた水道も2日目にはストップし、それから10日間断水が続きました。固定電話、携帯電話も全く使えず、外部と連絡するすべもありません。夜になると外は一面の闇、冷え込んできてもファンヒーターも使うことができず、反射式の石油ストーブを囲み、懐中電灯とローソクの小さなあかりの下でありあわせの食事をしました。トイレに行っても水を流せませんから、何回かの使用の後、汲み置きの水をタンクに入れて流します。聞こえてくる音は携帯用ラジオの音だけ、それが唯一の情報源でした。一面に広がる夜の闇を見つめながら、とても心細い夜をすごしていました。

 

 そんな中、わたしたちは詩編46編を何度も何度も読み続けました。それがわたしたちの支えでした。

 

 神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦
 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる
 わたしたちは決して恐れない。
 地が姿を変え
 山々が揺らいで海の中に移るとも 
 海の水が騒ぎ、沸き返り
 その高ぶるさまに山々が震えるとも。
           詩編46編2~4節

 しかし、ラジオから次々に入ってくる地震と津波による被害状況、そして後に電気が通るようになってから見たテレビの映像、それはわたしたちの想像をはるかに超える悲惨なものでした。さらにまた、数日後実際に見に行った町の様子は、昨日までのわたしたちの町の姿とは一変した、まさに廃墟になっていました。見慣れた風景はもうどこにありませんでした。あるのは横転した車や船、泥にまみれた道路と見渡す限りのがれきの山、それはとても現実のものとは思えず、映画か何かのセットであるかのようでした。

 教会の皆さんともなかなか連絡がとれませんでしたが、幸い、皆さん無事であることが確認できました。しかし3人の方の家が半壊、あるいは全壊して、親族の家に身を寄せています。またある姉妹は無事だった2階で生活しながら泥まみれになった1階を片付けておられます。また家が無事だった方の中でも、電車の不通により教会に来られない、震災後のガソリン不足によって教会に来られないなどで、現在教会の活動が停止状態になっています。今後教会が教会として復帰していくことも大きな祈りの課題です。
 復興に向けての戦いはまだまだこれからです。復興を考えるどころではない、今日を生
きることすらめぼしのつかない方々もまだたくさんおられます。具体的、かつ緊急の援助が必要です。また、町全体の復興のために、長期的援助も必要です。

 これらのことを考え、祈る中、教団の先生方のお勧めもいただきつつ、一つの思いと計画が与えられてきました。塩釜の開拓伝道に遣わされて以来12年、教会と家庭を支えるためにずっとアルバイトをしてきました。今も二つの仕事をしています。震災直後の中でしばらくお休みしていますが、いずれ早期には復帰することを考えていました。しかし、被災地域に立つ教会として、今しばらくはこの震災の支援と復興のために仕えることを神様は望んでおられると思いました。そこで、長期のお休みをいただくことのできない一つの方は続けていくことにして、もう一つの仕事はしばらくお休みを続け、支援復興により力を入れていきたと考えています。

 愛する皆さん、キリスト塩釜ともしびチャペルの教会活動の早期回復、そこには教会員一人一人の生活の早期回復も含まれます、と、支援復興活動のため、そしてそのためのすべての必要が満たされるようにお祈りをお願いいたします。戦いは長く、厳しいものになるでしょう。しかし詩編46編のみことばは真実です。どうぞ、お祈りください。
 そしてこれから始まる復興に向けての長く、厳しい戦いを、わたしたちと共に戦ってくださいますように、よろしくお願いいたします。 祈りつつ

 

2011年3月25日 震災より2週間の宮城・塩釜より