2015年活動に向けて


震災から五年目を前にして

  2011年6月教団復興支援活動は岩沼市にセンターを立ち上げて始まり、2015年6月で五年目になろうとしています。

 一年目は津波で被災した地域でのEM散布が中心に行われました。二年目は津波で全壊した、岩沼市早股の「産直朝どり」再建を目標として、人的・材的支援により十月に完成することができました。三年目はイサクプロジェクトとして井戸掘りを行いました。これは既存の井戸の塩分濃度が高くなったために新たな井戸を掘ろうとしたのですが、利用できる水脈を見つけることが難しく、塩分濃度の低い水は深井戸(50M以上深さ)を掘らなければならず、MSR+で用意した機材では対応できませんでした。三年目の新しい活動として、岩沼センターで毎月第2日曜日午後、岩沼チャペル礼拝を行いました。山形南部教会とキリスト塩釜ともしびチャペルが協力して礼拝を今も続けています。

 そして今年四年目になり、今までの活動を継続して実施しました。岩沼チャペル礼拝、仮設住宅集会所での三浦綾子読書会、EM活性液の製造と提供、そして井戸掘りでした。活動の多くは常駐スタッフの働きが中心になり、月に数日復興支援スタッフが加わり活動してきました。

 

 地域社会の歩み

 震災から二年目、岩沼センター周辺で田植えが行われ、三年目産直朝どりの周辺でも田植えが始まりました。そして、2014年岩沼市では被災地で最初に復興住宅への移住が始まりました。徐々に以前の生活を取り戻しつつあるかのように見えますが、海岸から一キロは住むことができず、その地域の利用は地域によって異なり、岩沼市では「千年希望の丘」として公園と防潮堤が造られました。

産直朝どりが再開されましたことで、その場所で新たな活動が始まりました。かつては二十二件の農家が収穫作物を持ち寄りスーパーに納品し、週末には販売し、年間約一千万円の収益を上げていました。今は参加する農家の数も少なくなりましたが徐々に出荷する作物も増えつつあります。しかし、スーパーに作物を納める農家は被災しなかった農家で、海に近い地域の被災した農家の多くは再建できていないでいます。

産直朝どりに隣接してできた「市民農園・楽農村」は、震災以前大型ハウスが二棟立っていてキュウリ栽培が行われていましたが、大型ハウスの再建ができないために、市民農園として農地を提供することで始まりました。そこに関わった方々が週末集まる場所として産直朝どりの施設が用いられ、最初は休憩所として、後には英会話、陶芸、料理、子どもの遊び場など様々な活動の拠点となり、新しい集会所となってきました。

復興支援活動によって再建された市民農園と産直朝どりが独自の活動を始め、新しいコミュニティーが出来たのです。

 

震災から五年目の歩み

 地域の復興は結局被災者各個人に委ねられています。経済的支援も一律でなくそれぞれの状況に応じてであり不公平感が残こり、そのことで今までの地域の関係に変化が生じています。さらに今の現実社会の課題が追い討ちをかけています。TPP、農業従事者の高齢化と後継者問題などが具体的な問題として顕在化してきました。

 震災から五年目を前にして、今こそ、復興支援から地域への伝道が本格化されるべき時期になっています。復興住宅に移住する方々と仮設住宅の残る方々への様々なケアが求められています。そこで必要なのは継続して地域に関わることの出来る人材であり、それを維持するための支援です。

 ですから、震災から五年目を前に今の最大の課題は人材です。2011年10月から木内一夫先生、美香子先生が常駐してくださいました。その後、小寺義さんが2012年1月から現在まで三年間常駐スタッフとして活動を担ってくださいました。しかし、これ以上ウェスレアン・ホーリネス教団の支援活動を一個人に担わせることが教団の働きとして相応しいとも思えませんが、岩沼での支援を続けたいとの本人の申し出ががあり、今年一年、現地スタッフの働きを支援し、そのための拠点としてセンターを維持します。岩沼センターを拠点にして、被災された方々のケア、岩沼チャペル礼拝・三浦綾子読書会、EMの提供など継続していきます。

 新たな道が拓かれることを祈っています。

 

宮城南部復興支援ボランティア

   委員長 小寺 隆