【復興支援委員会】 第6回活動報告

今回は第1日目が韓国からのボランティアの参加があり、昼食は山形の芋煮、夜は韓国料理で共に交わりの時がありました。日本の震災の被災地を覚え祈って下さるだけでなく、日本に来て下さいました。11日の礼拝はキリスト塩釜ともしびチャペルに参加されました。

 

参加者:16名
九 州 :  福岡エルシオン教会(2名)、

             宮崎柳丸キリスト教会、

        福岡栄光教会
関 東 :  塩谷キリスト教会(2名)、

             九十九里みぎわ教会(2名)、

        八潮キリスト教会(2名)、甲府福音キリスト教会、淀橋教会、
現 地 : 岡摂也、山形南部教会(2名)、平島望

特別参加者:韓国永楽教会から21名のボランティアと吉田耕三先生の訪問

 

第1日:9月12日(月)

1日目は、まず前にEM散布ができなかった亘理町高屋地区の1軒のお宅と畑に、その後やはり津波の被害を受けた亘理町長瀞地区の60軒のお宅にEM散布をさせていただきました。

震災後半年ということもあってか、敷地内は片付いている家も多かったですが、それぞれとても広いお家の縁の下や庭に散布させていただきました。地区長さんの細やかなご配慮もあって、水を使わせていただいたり、地元の方と一緒に家々を回らせていただけたことがとても感謝でした。

 

多くのお宅で、飲み物、すいかなどの差し入れをいただき、地区長さんの奥様には、ぶどう狩り(!)までさせていただき、「受くるより与うるは幸いなり」の御言葉を思い起こしました。

また、あるお宅では、EMを持っていたら譲ってほしいとおっしゃるほど、以前からEMを使用されていたご主人が、私たちにはアイスを食べさせて、自ら噴霧器でEMをまかれるということもありました。とにかく、EMが悪臭を消し、土壌を回復させることを祈りながら作業をしました。

 

塩害のために作物を作ることのできない、ある農家の方が、「忙しいことがどんなに幸せだったことか」とおっしゃった言葉が心に突きささっています。 初めての人も多かったのですが、動力噴霧器でEMを散布する作業も、だんだんと馴れ、チームの連携もよくなっていきました。

 

また、昼食はMSR+の2人の青年が山形名物の芋煮を作ってくれて、昼から合流した韓国・永楽教会短期宣教チーム21人と共に食べ、午後は、共にEM散布や田んぼの草取りの作業をしました。

夕食は、永楽教会メンバーが韓国料理を作ってくださり、食後は、日韓交流会を行いました。永楽教会チームが四重唱や証しをしてくださったり、日韓両国後で「君は愛されるため」を繰り返し賛美したり、「God Bless You」を日本語で何度も歌ったり、最後には特に被災地の復興のために祈るときをもって、お互いに出会いを喜び、楽しい交わりの時を過ごすことができました。

韓国チームの方々はとても明るかったですが、証しの中で、いろいろな覚悟や決断をもって短期宣教に参加されたということを知り、その祈りの思いに感謝を覚えました。 ボランティアで初めて会ったメンバー、地元の方々、韓国からのチーム、多くの新しい出会いの中で、多くを受け、多くを教えられた第1日目でした。

 報告:本間尊広(宮崎柳丸キリスト教会牧師)

 

 

第2日 9月12日(火)
この日は前回できなかった、岩沼のセンター前の畑の散布から始まりした。3台で一斉に散布し30分ほどで終り、そして仙台市若林区二木地区へ移動しました。
そこまで行く間、名取市閖上(ゆりあげ)地区を通過し名取大橋を渡りましたが、仙台空港からずう~と未だ復旧の段階で、瓦礫の撤去が行われ、重機があちらこちらで動いていました。

二木地区の依頼はクラッシュジャパン経由で平島先生に連絡がありました。

被災後からクラッシュジャパンのボランティアが瓦礫の撤去などを行ってくださったのとのことで、EMについてもクラッシュから依頼がありました。

家の前の田んぼは非常にきれいで、瓦礫がありませんが、水が入ってこないためにこれ以上は何もできないとのことでした。しかし、自宅前の畑は作物がある程度順調に育ち、収穫もできたとのことです。

 

昼食のために一度センターに戻り、その後気仙沼に向かいました。

今回のボランティアでの活動で、<気仙沼まるごとEM浄化大作戦>に参加することがありました。この活動は7月から小寺徹先生と川上悟さんが、気仙沼の状況を足利英紀さんから聞き、企画し、クラッシュジャパンに提案しました。その後クラッシュジャパンが8月23日から9月末まで連続6週間にわかって実行するものです。わたしたちのMSR+の活動からこのような活動が進められることになりました。

 

あいりん社の見違えるほどの姿に感動しました。4月25日からの2回目のあいりん社へのアガペーCGNの活動に参加していた人が今回6名参加していたので、久しぶりの阿部さんご家族との再会を感謝しました。

 

第3日:9月14日(水)

13日夕軽トラックを走らせ到着した気仙沼でのEMサンプの日である。昨晩は、津波で、壊滅的な被害を受けた愛隣社の阿部さんご家族の体験談証しを拝聴しながら、神様の奇しき御業を覚え眠りに着いたが、14日朝は、その阿部夫人の準備してくださった心温まる朝食を頂き感謝であった。

 

朝食後、出発までの時間の中で、阿部さんから当時の様子を聞くことができた。特に心に響いたことは、娘さんのご主人の救いについてである。

印刷業を営む阿部さんは、今回の津波によって、数千万もする印刷機を失った。その撤去の日には、娘さんのご主人さんが、手伝いに来てくれていた。その日は、海外から宣教団体も来ていて一緒に礼拝を献げ、同時に聖餐式も持ったそうである。

そのとき、気仙沼第一聖書バプテスト教会の峰岸牧師が、洗礼を受けていなくても、今ここで主イエス様を信じるならば、聖餐に預かることができますと人々に促すと、何とこれまで殆んど教会に行ったことのない娘さんのご主人も聖餐に預かろうとしていたので、阿部さんは、思わず確かめたところに、信じたので受けると言われたのです。

その日、阿部さんにとって大切な印刷の機械は、使えなくなり撤去され、そこを離れることになりとても悲しく寂しい思いをされた。しかし、ずっと祈っていた義息さんの救いは、そのような悲しみ、寂しさをふっとばしてしまったのである。

阿部さんには、可愛らしいお孫さんがおられる。彼女は、学校で津波の一部始終を目撃したトラウマが残っているようである。先日大震災半年の特番等を見るのがとても辛かったようである。彼女の心の傷が一日も早く癒されるように祈り続けたい。

 

 さて、今日のEM散布は、CRASH・JAPANの方々と合同で行うことになっていた。

気仙沼には、三陸EM研究会代表の足利さんがおられる。家を失ったが、そこに留まることなく、前を向いてEMサンプによって、ヘドロで汚れた気仙沼の土壌を浄化する働きに心血を注いでおられる。とてもユーモアがあり、おやじ?ジャグを連発しながら、奉仕に来たわたしたちを和ませてくださった。

13日までは、民家の床下の洗浄が主な役割であったが、今日の午後は、だだっ広い田んぼへの散布であった。昨晩の雨をあり、沼地化していて長靴がズブズブと入っていくこともあったが、そのことでヘロドが溜まっていることが良くわかった。

EMの散布は、散布する者、ホースを支える者がそれぞれの役割をしっかり果たしていくことにより、効率的に散布することができるが、そのことによってチームに連帯感、一体感が生まれていった。

ホースからは、EMが散布され、土壌が改善されていくわけであるが、その作業は、キリストの体なる教会に仕えるわたしたちの働きを思い起こさせてくれた。キリストに結ばれたわたしたちには、それぞれの役割があるが、その役割をしっかりと果たしていくならば、キリストというホースからは、罪の世を浄化する愛が散布されるように思えた。

またホースがヘロドで汚れているのを見ながら、主イエス様が、わたしたちの罪の世を清めるために、癒すために、十字架で尊い血潮を流され、傷を受けられたことを新しく覚えるときとなった。

 

このヘドロについて、足利さんが言われたことが印象的であった。千年に一度の大地震後に起こった大津波によって、三陸の地はヘドロだらけになってしまった。しかし、ヘドロは人間が海に流し続けたものである。真に、人間が自分勝手に行き続け、汚し続けたゴミが一気に戻されたのである。足利さん自身家を流されてしまった方であるが、今回の地震、津波を前向きに考えておられることに心を打たれた。

 

 

午後3時半に、気仙沼を出発し、一路岩沼のセンターを目指す。軽トラックで高速道路を運転し約130キロ、途中では、町が一瞬の内に消えてしまったとも言われる南三陸町を通過。本当にまだその津波のすさまじさを物語る光景が残っていた。

明日は、いよいよ福岡に戻るが、EMの散布を通してであった様々な人々の生きた証し、苦しみの中でも、愛と思いやりに満ちた人々と出会わせてくださった主イエス様に感謝しつつ、眠りにつく。

報告:山崎忍(福岡エルシオン教会牧師)