3年目の想い

2014年の3月11日を迎えて震災から3年の時が過ぎました。復旧・復興に向けて1000日以上の日々が経過し、震災直後と比べると、被災地の光景も大きく変わっています。津波のガレキが取り除かれ、家々も壊されまたは建てられ、ボランティアに訪れる方々をあまり見かけなくなってきました。特に復興の進んでいるとされている岩沼市においては、農地の復旧も今年度で終わり、集団移転先も27年度には完成予定とされています。また、農地の復興事業が進み始めており、生産組織を立ち上げて国の支援を受け、新たに農器具を得て将来への歩みを踏み出しています。

 

そういった新たな組織・建築が目につく一方で、人の関係性が崩れ行きつつある事実もあります。具体的には、震災以前は共に暮らしていた親子・夫婦が別居やケンカ別れする様になったり、被災沿岸地域の国県市政策による土地買い上げの金銭差による妬みが生じたり、という具合に。復興の速度に、人は置いていかれています。

 

今問題とされる仮設に住む方々は、狭い空間の中で過ごすストレスや集落内での軋轢を抱え、その負の想いを家族に対する不満として表わしたり、近しい者に対して何も言えずに溜めこんでいたりする方々です。特に、農家の集落は出る杭が打たれることを望む人が多く羨む想いが妬みへとして生じてしまいます。

また、仮設では貰い慣れてしまい、心が貧しくなってしまっている人もいます。ボランティアによる仮設への配布は時折行われており、その配給物を我先にと全体に行き届く前に何度も貰おうとする人やイベントが開かれる際は「行けば何が貰えるのか」と問う様な人がいると耳に挟んだこともあります。仮設住宅の住みにくさや不自由な箇所を市に伝えると、市が手厚くその要望に応えてくれるようです。仮設住宅に住み方々は何をすることもなく生きる事が出来ます。それらは保護されているという面で見ると良いことなのかもしれませが、これまであった土地や仕事をなくして未来が見えずにいる中で、何もせずとも生きる事のできる環境は何も与えてくれません。それはぬるま湯につかるような環境で、暑くも冷たくもなく、心が動かず震災から立ち上がる力を育んでくれません。

満たされない想いを抱いて生きているのです。震災の影響から立ち上がるのに必要なことは、失ったものへの想いを断ち切り、現代あるもの対する感謝を覚える事、その考え方のきっかけとなる出来事だと思います。

 

残される者のことの想いを省みずに出ていく人が多く、ある人は残される人たちのことを嘆き、仮設住宅を「姥捨て山」と例えたりしています。事実、集団移転先完成が最も早い地域で27年度とされていますが、心に負荷がかかり身体を患う様な場所にもう二年住むよりは完成を待たずに別の場所に移り住んだ方が良いと判断を下して引っ越す人もいました。北部の方では候補地を示すことすらできておらず、将来を考えると出ていきたいと考えるのはなおさらとも言えます。しかし、そういった様に思って出けるのは、若い者のいる将来性のある世帯や裕福な世帯であり、土着愛を持つ年配の世帯や貧しい世帯は出ていく決断を下せていません。

 

震災後の境遇の差に、同じ被災者であっても不憫に思い涙を流す人がいます。最も辛い状況にある被災者は表には出ていません。表に出るのは地域の中心となっている人や行動を起こしている人、求めて声を出せる人、そういう光に当たる場所に出ている人と比べ、陰の中で孤独を抱え、理不尽に耐え、声を出さずに過ごす方々は見つけようとしてもなかなか見つけ出すことはできません。そういう方々は人との関係性の中でしか見出し得ないのです。日本人は耐え忍ぶ国民だと思いますが、それが悪い方向に働いています。ある人は泣いてはいけないとも考えているようでした。耐えて堰が壊れ心が折れてしまった人が、うつ病として診断されているのではないかと思います。

 

被災地でのニーズは年々変わっています。今はそういう暗い所で過ごす人や震災から変わらない想いを抱く方々の隣人となることがクリスチャンとしてできる最善の活動なのだと思います。ある教会は、亘理の方に教会を建て、牧師と信徒が隔週でカフェを開いて人を招いています。継続して活動をしていくためには中途半端な覚悟ではできません。それは被災者の隣人となりたいという愛による行いでしか為しえないのです。被災地で奉仕するクリスチャンの多くは、その想いを形にしていこうと努めています。

 

願うことは、いまだに苦しみの中にいる一人一人を隣人として愛すること、それだけです。僕は個人的に震災当初に使われた絆と言う言葉を好んでいません。被災地域から離れている人の多くは震災の傷跡や苦しむ人々を想い使っていたのでしょうが、それは周囲の情報や環境に影響され、感情的に受け入れた言葉だと思うからです。中途半端に言葉を残し、何もせず復興が成し遂げられたと思われること、それは被災地で苦しむ方々のことを何も知らないと明言する行為に等しく、震災直後の一体感から裏切られ、突き放す行為に等しいことだと感じます。

 

「好きは感情、愛は意志」との言葉を遺した人がいるように、感情的な想いは消え行き、消えぬ想いを抱くには意志を持って関わる必要があります。意志を表すとは行動することであり、その内容は人によって違いますが、行動すること自体は誰でもできます。寧ろ、その人にしかできない活動もあるはずです。どうか、被災地で苦しむ方々に対して、絆という言葉は風化したのではなく、今もなお日本全土で被災地の一人一人のことを想い繋がっていると語ってください。忘れられていないと実感するだけで喜びが湧いてきます。単に震災直後に流行った言葉として捉えられるのではなく、心の孤独を和らげる言葉として続いているのだと伝えてください。

同時に、想いを形にしようとした際、祈りによって、被災者と各地で働く奉仕者を助けてください。震災から三年と言う時が経ち、被災地に関わる少なくない奉仕者が肉体的・精神的疲れや問題や苦悩を覚えています。そういう時に一番支えとなるものは、祈りにより支えられ、繋がっていると感じることです。これまでの活動がそうであったように、これからの活動もそうであることを願います。