岩沼からの手紙 2014-11月(2)

岩沼市のまちなかには日本基督教団の教会がある。ただ、自分は山形の母教会に所属しているし、祈祷会も水曜日に亘理の教会へ通っているので、市内の教会とはこれまで接点がなかった。どこか、遠い隣人のように感じていた。

ある日曜日、イベントを手伝う関係で山形の教会に足を運べなかった。そのイベントの帰り道、「たしか、日曜の夕礼拝はやってなかったなぁ」と思いながらも、念のために教会に寄り礼拝の日時を確認してみた。予想通り日曜日の夕礼拝はなかったが、その教会の祈祷会は水曜日ではなく、木曜日であることを知った。その次の木曜日に、その教会の祈祷会に足を運んだ。


互いに存在は知っていたようで、温かく迎え入れられ、それぞれの立場について語りあい、互いのために祈った。また、奇縁と言うのだろうか、その場には他にも同じように初めて来られた方がいた。卒業近い高校生で、キリスト教系の学校を経て受洗を決意したようだ。そのことを母親に話すと、反対されると覚悟していたようだが、同じようにキリスト教系の学校に通っており、むしろ勧められたと言っていた。牧師は若い方々がこうして教会に集うことが嬉しいと言っていた。


教会関係で夏にあった出来事をもう一つ。

塩釜ともしびチャペルに掃除の手伝いで足を運び、色々なものを捨てつつも物色していると、とても古く、初めて見るが身近な物と遭遇した。それはおよそ20年前の聖潮で、なんと母の文章がそこに載っていた。僕が十にも満たない時に、母が何を考えていたのか、今にして思うと全く知らない事だった。その頃の両親の想いにどのように応えられているのだろうと、その通知表を己の目で見るとするならば、残念な想いに駆られることだろう。


1994年1月の聖潮。 母の文章は婦人のコーナーに
1994年1月の聖潮。 母の文章は婦人のコーナーに

教会や家庭という環境は、どちらも神の愛を必要とする意味で区別できない。そういう意味で、日本の教会や家庭の問題として『継承』があると思う。

僕は両親の背中を見て育ち、聖書に対する確信も愛も親から教えられた。親と子の関係は師弟のように愛を享受する関係であるとも言える。弟子は師に勝ることはないが、家庭が他と繋がっていれば、人間関係の総合的な形として表れる。その関係が豊かであれば、愛は増し加えられていく。

逆に、家庭という環境が閉鎖的であるならば、子に注がれる範囲は狭く、愛の形は小さく、あるいは偏ったものとなる。その者が家庭を持ち、その家庭が閉鎖的であるとするなら、果たして愛を伝えられるのだろうか。

人の内に愛は無く、その愛を神に求めないならば、その者の愛を表す行為は空しく終わる。


愛は排他的だと言う人がいた。そのとおりだと思う。愛は温かいものだが、同時に厳しく、受け入れるべきでない物事を排除する。特に、物で溢れる現代においては無視してはならない。時間も物も事柄も何もかもが溢れて、日々選択を問われている。誤った選択をするならばそれを正さなければならないが、時代や見解の違いによる理解の差などで衝突がある。ただ、理解し合えない関係も選択の結果と言える。

伝える想いが何かに制限されて有限である以上、子共や大切な人にどのように接するかを考え、祈り委ねていかなければ。

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